気胸入院生活➁
みなさまこんにちわ。パパchです(*'▽')
今回は前回の続きになります。
あくまで自分の記憶を呼び覚ましながら書いているため、まとめるのが難しく長くなってしまい申し訳ないのですがお付き合いください( ;∀;)
さて、前回の記事で悪循環に陥った私ですが2.3日は同じような毎日を過ごしていたと思います・・・
おそらく入院生活4日目くらいでしょうか・・・
このあたりで色々と変化が出てきます。
それは管を入れているところの痛みが痛み止めを飲まなくても痛くなくなってきたこと。
これは結構嬉しい変化でした。
今までは起き上がるときに毎回痛みがあったので、ご飯を食べるときやトイレに行くときには毎回数分かけて起き上がるレベルでしたが
痛みがなくなってからはスッと起きれるようになったので体的にも心的にも
だいぶいい変化でした。
また当時の自分はブログやTwitterをやっていなかった為
関わりがあるとすれば、妻や子供たち、職場の人たちくらいなものでしたので
病室のベットの上に一人でいることが寂しくてたまりませんでした。
そんな中、心を支えてくれていたのは妻です。
夕方子供たちを実家に預け20分・30分でも来れるときに来てくれていました。
(来れない日も当然ありましたが来てくれた時の安心感は相当なものですね)
それと職場の後輩です。
この後輩は家や職場から結構離れているのに毎日仕事終わりに面会に来てくれて
一緒に夕飯を食べてくれたり、話し相手になってくれたりしました。
こんないい後輩をもてた自分は恵まれすぎてますね・・・
(この後輩とは今現在、職場は違いますがプライベートで仲良くさせてもらっています)
この二人に支えられ少し前向きになれた私は食事をとれるようになりました。
これも大きな変化でした・・・
そして何よりも大きく心境が変わったのは子供が面会に来てくれたことです。
2歳の娘が妻と職場の人と一緒に面会に来てくれたのですが病室には入れない為
ロビーのような所で会いましたが久しぶりに娘を見た時に涙が溢れてきたのは今でも忘れません。
今まで会いたくても会えずにいた・・・
でもあった瞬間なにもなかった・数日間いないのなんて知らないといった感じで
「あ、パパ!」と言ってくれたことに今までの不安や寂しさが一気に溢れてしまったのだと思います。
「早く子供たちのところに帰りたい・・・いつまでもクヨクヨしていたら治るものも治らないかもしれない・・・」
そう思えたのは何よりも大きな変化といえるでしょう・・・
心に大きな変化があった私ですが、ここである問題にぶつかります・・・
それは・・・ものすごく暇( ;∀;)
肺の空気の漏れは相変わらず続いていたものの、食事もしっかりとれるようになると
少しですが自分に余裕が出てきます・・・
そこでぶつかった問題が時間の使い方・・・
2日目からそうなのですが、朝先生が来て空気の漏れをチェックし、
夕方に先生がもう一度来て
「うん、まだ漏れてるね。・・・ちょっとこれで様子みようか・・・」
と言って吸引圧を上げていく。
(この吸引圧というのはこの圧で肺を膨らませているのではなく、肺が膨らむのを手助けしているみたいです。)
この流れがほとんど。
少し変化があるとすればレントゲンやCTでの途中観察が日中にあるぐらい・・・
要するに日中はやることがなにもないと言っても過言ではありません・・・
気胸という病気には特に制限がない為、飲食は自由。
病院内・検温の時に部屋にいるという条件はありますが、行動も自由。
だからと言って時間をつぶせる場所もなければ、携帯をずっといじっているのにも限界があります。
テレビもテレビカードの都合でずっとつけておくわけにもいかない・・・
入院生活の一番の山はこの「退屈」な時間をいかにうまく過ごすかだったと思います。
5日目くらいからは妻との会話にも変化がでてきました。
前までは「もうヤダ、早く帰りたい」みたいな内容だったものが
「いっそのこと手術でもいいから早く帰りたい」みたいな感じに変わっていたと思います。
開き直ったというか・・・悟ったというか・・・
変に落ち着いてしまったんですよね・・・
それでも自然に塞がってほしいという希望は持ち続けてはいましたが('ω')ノw
そして運命の7月17日。
この日で入院してから一週間たちました。
残念ながら自然に穴が塞がるという希望はかなわず
翌日の18日に大学病院へ転院することが決まりました。
それと同時に手術を受けるということも決まりました。
そして18日
私は手術を受けるべく再び救急車に揺られながら大学病院へと運ばれていくのでした。
(救急車って思ってたより揺れるし乗り心地悪いwww)
次回に続く。。。
気胸入院生活①
みなさまこんにちわ。パパchです(*'▽')
前回の記事で医師から気胸の診断をされ緊急入院となった私ですが
今回の記事ではその後の入院生活についてお話ししたいと思います。
緊急入院することになった私は管を体にいれ、一週間の入院生活が確定し
死を一歩手前で回避したものの不安でいっぱいの入院生活を送ることになります。
緊急処置を終えて気絶しそうになりナースさんに来てもらい
ベットに腰を下ろして息を整えて落ち着いた頃に担当の先生が部屋にきました。
その時先生から今後の方針についての説明が何点かありました。
・まずは一週間管を入れ、肺が膨らみ自然に穴が塞がるのを待つ
・一週間のどこかで途中経過をレントゲン撮影にて確認する
・もし一週間経過した段階で空気の漏れ(穴が塞がらなければ)が止まらなけらば
近くの大学病院に転院した上で外科的処置すなわち手術をしなければならない
だいたいこんな感じの説明がありました。
説明をうけて1つ疑問が浮かんだのが、
なぜ大学病院に転院しなければいけないのか・・・
この病院でいいのでは・・・
そう思ったので先生に聞いてみると、
「うちには呼吸器外科がないから、もし手術ってなったら転院っていう形になっちゃうんだよね」と言われものすごく不安に。。。
一週間というある意味リミット付きの入院生活。
いつ肺が膨らみきるのか、膨らみきったとして穴は自然に塞がるのか、
もし塞がらずに手術となった場合、また別の病院に行っての手術・・・
まだ初日なのにも関わらずたくさんの不安が重くのしかかってきました。
家に帰りたくても帰れるわけもなく(あたりまえww)
妻や子供たちに会いたいときに会えない。
夕方前ぐらいに入院だった為、夕飯から病院食が出てくるのですが
不安や寂しさ、またこの時には麻酔も切れ管を入れている部分の痛みもあり
一口か二口くらいしか食べられませんでした。
それどころかお腹なんて全然減っていませんでした。
全然手を付けないまま夕食をかたずけてもらい、色々と不安に思うことを考えているうちに気が付けば消灯の時間・・・
精神的な疲れもあったのか、部屋が暗くなると次第に寝てしまいました。。。
次の日、朝早くに看護師さんが血圧と体温を測りに来ます。
そこまでは若干寝ぼけながらも対応するのですが、
その後の看護師さんの一言に目が一気に覚めた覚えがあります。
「ちょっと管入ってるところ触りますねー」
・・・・・・いっっった( ;∀;)💦
いままであまり経験してこなかった痛みが走ります。
しかしこれは管がずれたりしていないか、皮下気腫(肺から漏れている空気が皮下に溜まったりしていないか)がないかをチェックする為らしく避けて通れないみたいです。
看護師さんが部屋から出ていくと朝食が運ばれてきます。
しかし、この日の朝ごはんも全然口にしなかったと思います。
朝食をかたずけてもらってしばらくすると担当の先生がやってきました。
先生は管が繋がっている機械をみると
「うん。まだ漏れてるね。夕方にまた様子見にくるからね」と言って部屋から出ていきました。
なにを基準にチェックしているのか気になった私は次に看護師さんがきたタイミングで聞くことにします。
(ここで聞かなかったらもうちょっと明るい入院生活が送れたかも・・・( ;∀;) )
昼食の時間、看護師さんが運んできてくれたので空気の漏れの判断について聞いてみることに・・・
すると、深呼吸するように言われ言われた通り深呼吸をすると
「ごぽごぽごぽ」と泡立つような音が聞こえます。
音のするほうに目をやると、管が繋がれている機械の中の液体が泡立っているような状態になっています。
この、機械の中の液体が「ごぽごぽ・ぽこぽこ」となる状態のうちはまだ空気が漏れている状態だということをこの時に教えてもらいました。
でもここで聞いたのが間違いでした。
食事をとろうとしても・・・「ごぽごぽごぽ・・・」
スマホをいじっていても・・・「ごぽごぽごぽ・・・」
常に自分の横からこの音が聞こえてきます。
意識すればするほどに、あまり大きな音ではないはずなのに大きく聞こえてきます。
食事中にはしを置いてはため息をつき
スマホで動画を見ていてはため息をつき
その悪循環は不安と恐怖をさらに高めていくのでした・・・
次回に続く・・・
気胸発覚
みなさまこんにちわ。パパchです('◇')ゞ
前回までの記事で気胸について書かせていただきましたが、今回の記事では
いよいよ私自身の体験談をもとに改めて気胸という病気について書かせていただこうと思います。
一番初めの症状は、咳と胸痛でした。
7月2日頃のだったとおもいます。
朝起きると、右の胸・右の肩に軽い痛みがありました。
しかしその日は仕事だった為、起き上がり身支度を整えていると咳が出始めました。
7月ということもありクーラーをつけて寝ていたので「喉痛めたかな?」と
その時は気にもとめませんでした。
当時の私はタバコも吸っていたので、仕事の休憩にタバコを吸ったりしていたのもあるのかやはり胸と肩の痛み・咳は収まりません。
こういった症状を気にしながら仕事をしていたせいか、この日はかえってすぐ寝てしまった記憶があります。
次の日になっても胸・肩の痛みは残っていましたがこの日も仕事へ。
咳も落ち着く気配がないのでここで薬局に行って咳止めを購入します・・・
この日購入した咳止めを飲んでを仕事を終えて家に帰ります。
次の日になると咳は出続けていますが体の痛みはほぼなくなっていました。
あとは咳だけだったので次の休みの日に病院に行くことにしました。
7月5日・・・この日は仕事も休みの日で病院に行った記録もあるのではっきりと覚えています
仕事が休みだったので普段かかっている病院にいって診察してもらうことになるのですが、この時に胸の痛みが消えていたのもあるのですが、先生に咳が出るとだけ伝えた私
先生「うーん、クーラー使ったりする時期だから喉か気管支やっちゃってるかもなぁ」
と、当時の先生も気胸は疑ってもいませんでした。
(後日談にはなるのですが、胸が痛い・痛かったと申告していればレントゲンを撮って検査が入っていたのでここで気づいていたかもとのことでした・・・( ;∀;) )
この日は咳止めと気管支を楽にする薬をもらって帰ることになります。
次の日から処方された薬を飲みながら仕事をやるのですが、このあたりから体に異変が起きます。
いきなり意識が遠くなる感じがしたり、一回咳をすると吐く寸前までせき込んでしまう
そして、せき込んだ後に「ヒュー」と喘鳴(ぜんそくの人とかにみられる症状)がでてくるのです。
しかし、医者に行ったばっかだし気管支の炎症がひどいのかな・・・とそう思いながら一日仕事をします・・・しかしここでもう一つの異変が。
いつもならごはんを二杯ぐらい食べるほど食欲がある自分がこの日から
全くと言っていいほどごはんが食べられなくなります。
7月7日が娘の誕生日なのであまり体調がすぐれないことは隠しつつこの日から過ごしていきます。。。
7月10日・・・娘の誕生日も無事終えたまたま仕事が休みだったこの日が運命の日になります。
処方された薬を飲んでも咳が収まらない、そして5日分で処方されているため薬がなくなる、この2つの理由からもう一度病院に行くことにするのですが、
いつもの病院は休診日だった為「パパ帰ってこれなかったらごめんね」なんて冗談を子供に言ってから最寄りのもう一つの病院へ。
そこで診察を受けると先生から「肺炎の可能性もあるのでレントゲンとってみましょうか」と言われレントゲンを撮ることに・・・
レントゲンを撮り終わり外で待っていると再び診察室に呼ばれます。
「パパchさん、息苦しくないですか?」とかなり深刻な顔しかしちょっとひきつった笑顔・・・
「はい、まったく。咳が出る時がしんどいくらいで・・・」
と答えると・・・「CT撮ってもいいですか?」と予想外の方向へ・・・
「え、なんか深刻な感じですか?」とCT=なんかの病気のイメージを持っていた私はここで焦り始めます。
「100%気胸です。肺に穴が開いて肺がしぼんでしまう病気ですがパパchさんの場合は肺が握りこぶしくらいしかないです・・・そして何よりしぼみすぎた肺が心臓を圧迫しています・・・いつショックを起こすかわかりません・・・あと数日、もしかしたら今日ショックを起こしていた可能性もあります・・・」
この時頭が真っ白になるのと同時に初めて自分に「死」というものが近づいてきた恐怖から手の震えが止まりませんでした・・・
子供に冗談を言ってきたものが本当に帰れなくなるかと思うとそれだけでも倒れそうでした。。
あいにくそこの病院では処置できないとのことで近くの病院に緊急搬送されることに。
自分の車で行くことは許されず、救急車を待っている間にCTを撮り紹介状を書いてもらいます。妻に連絡を入れ搬送先の病院を伝え終わるぐらいに救急車が到着。
人生初めての救急搬送です( ;∀;)
感覚的に10分かからないくらいで近くのちょっと大きい病院へ。
ドラマとかでしか見たことのない緊急処置室みたいなところへ運ばれ意識確認をされます。
紹介状をよんでいた救命の先生が近づいてきて、「息がしずらいとか、苦しいとかないの??」と聞いてきたので「大丈夫です」と答えると、
「若さに救われたねぇ・・・」といって離れていきました。
意識確認をしながら採血をし、点滴をして入院をすること、そして管を体にいれて肺を膨らませなくてはいけないという説明を受けました。
ざっくり拾わせていただいた画像で説明すると。
わきの下ら辺をメスで切りそこから管を入れ漏れている空気を出す感じになります。
この管の先には専用の機械があるのですがそれは押して歩くことも可能なので一応自由には動けます('◇')ゞ
ただこの状態になると少なくても1週間は入院し空気の漏れが止まるかどうか(肺を膨らませて自然と穴が塞がるのを待つ)を経過観察しなければなりません。
この胸腔ドレナージをした直後、しぼんでいた肺が戻ってくるからなのか
本当に気絶しそうなほど体が震え冷や汗がすごくナースコールを妻に押してもらうように頼んだらしいのですが、それはあまり記憶にないんですよね。。。(; ・`д・´)
こうして、本当にぎりぎりのところで気胸の診断を受け一命をとりとめた私ですが
ここからが本当につらい入院生活の始まりでした。。。
それはまた次の記事で書くことにしましょう。。。。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
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フォロー・コメントいただけると嬉しいです(*'▽')
それではまた次回の記事で👋
気胸という病気その➁
みなさまこんにちわ。
パパchです(*'▽')
昨日上げた記事を見てくれた方がちらほらといるみたいで、
アクセスチェックした時にニヤッとしたりしなかったり・・・(; ・`д・´)ww
はい。ということで今回は気胸という病気その➁です(*'▽')
前回の記事では、どういった病気なのか。どういった症状がでるのかを書かせていただきました。
今回はそれを踏まえて記事を書かせていただきたいと思いますm(__)m
※なお、あくまで自分が調べた範囲・経験をもとにした記事になっているのでご理解ください。
- 気胸の種類
前回の記事で気胸になりやすい人を最後の方にかかせていただいたとおもいますが、
その文章だけを見ると女性の方はあまり関係のないように思えますが女性でも確率は低いかもしれませんが気胸になることはあります。
また女性特有の気胸みたいなものもあるので紹介させていただきたいと思います。
それではいくつか紹介させていただきます。
・自然気胸
これは肺の一部に、あるときブラと呼ばれる袋(風船のようなもの)ができ
交通事故やナイフで刺されるというような明らかな理由もないのにこの袋(ブラ)に
気胸という病気
みなさまこんにちわパパchです。
今回は前回の記事でちょろっと書いたのですが、
夏頃に自分が死の一歩手前までいった時の話をさせていただこうと思います。
ただ、あくまで自分がなった症状であったりするものなので全員同じ状態になるわけではないことだけご理解ください。
又、今回のこの記事だけではなかなかすべてを説明するのが難しいので
3回くらいに分けて書いていこうと思います。
まず自分が死の直前までいったのはなぜなのかそれから説明させていただきます。
その原因は「気胸」という病気です。
この病気聞いたことある人・ない人いると思いますが、
自分なりに調べた範囲で説明させていただきます。
1.気胸という病気
まず気胸とはどんな病気か、それは簡単にいうと肺に穴が開いてしまい空気が漏れ
胸腔(きょうくう)と呼ばれる空間に空気が溜まってしまうというものです。
しかし人間の体の構造上、空気が漏れ・溜まっても肋骨がある関係で胸が前に腫れ膨らむということにはなりません。
その関係でどんどん空気が漏れ・溜まっていく状態が続くと今度はめ肺が空気に押され始めます。
そしてその状態が続くと空気に押されることによりどんどん肺が小さくなります。
つまり肺から空気が漏れ肺が小さくなったこの状態を気胸といいます。
次に気胸になった場合どのような症状がでるのか書いていこうと思います。
2.気胸の症状とは・・・
※次に書くことが必ずしも気胸の症状として現れるわけではありません。
※該当することがあるようであれば病院を受診してもいいと思います。
先ほど気胸について軽くお話しました。ではその症状とはいったいどうゆうものなのか
それを書いていこうと思います。
・胸痛 ・呼吸困難 ・咳が主な症状としてあげられています。
しかし稀にではありますが、なんの症状もないのに健康診断などの胸部レントゲンなどで発見されることもあるようです。
次回の記事で自分の体験談を書かせていただきますが、前述した症状などでた場合には気胸を疑ってみるのもいいかもしれませんね。
尚、発症率としては・10代後半 ・20代 ・30歳代の男性
特にやせ型で長身、胸の薄い男性に多い傾向にあります。
まぁ、自分は長身ではないですが気胸になりましたけどね・・・(/・ω・)/ww
以上、今回の記事では気胸という病気とはどういったものなのかを
簡単にではありますが書かせていただきました。
次の記事では
ここまで長い文でしたが読んでくださった方ありがとうございます( ;∀;)
また次回の記事にも目を通していただけると嬉しいです。
それではまた次回の記事で👋
あけましておめでとうございます
あけましておめでとうございますm(__)m
昨年の半ばからブログを開設したもののゲームの記事を書くことが多く
育児のことや、アンケートを取ることも全然できないまま年を越してしまいました。
当然育児をせずゲームばかりしていたわけではありませんww
この次に書く記事で詳しく説明させていただきますが、
夏に死の一歩手前という状態に陥ってから体調の方がなかなか優れない
というのも理由の一つになります。。
そんな中で育児をしながら合間にゲームをやりそのことを記事にさせていただいておりましたm(__)m(笑)
昨年は長男も生まれ幸せな一年を過ごしたかったのですが、前述した通り
死の一歩手前までいくという不幸も味わいました。
しかし、これを機にブログを開設しTwitterのアカウントを作り色々な方と繋がることのできた一年でもありました。
Twitterを通して素晴らしいゲーム仲間にも出会えました(ちょっとまだ浮いてるかもだけど)
音楽の趣味が合いそうないい人達にも出会えました。
同じブロガー(自分はそんなレベルではないですが)の方たちにも出会えました。
死んでたかもしれないという恐怖とこの先に対する絶望感を抱えていた自分に、
子供たちの笑顔。この状態にならなければきっと出会っていなかったであろう方たち。
たくさんの希望・楽しみを与えていただきました。
本年はなによりも早く社会復帰するのが一番の目標です。
あせることなく日々ちょっとずつ進めていくつもりです。
このブログも今年はしっかりやり遂げたいと思っております。
当然子育ても頑張ります!
そして最後に・・・
昨年自分と繋がってくださった方、自分を拾ってくれた仲間たち本当にありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたしますm(__)m
最後になりますが皆さんの一年がいい一年になりますように(*'ω'*)
これにて昨年のお礼と新年のあいさつとさせていただきます。
みなさまはじめまして(..)
みなさま初めましてpapachannel(パパチャンネル)と申します。
10月2日から全くの未経験ではありますがブログを開設させていただきました。
このブログを開設するにあたって軽くではありますが自己紹介をさせていただきます。
簡単に箇条書きにて失礼します。
- 年齢は20代半ば
- 身長は160後半と低め
- 体重は50キロ半ばくらい
-
三児の父親をやっております(長女11歳、次女2歳、長男5ヵ月)
- 現在、病気の関係で自宅療養中
- 趣味はゲーム(オセロニア/モンスト/マイクラ/遊戯王/etc)・読書・映画鑑賞
ざっくりではありますがこんな感じになります。
いまいちはっきりとした自己紹介になっていませんが今後の記事で詳しくお話していきたいと思います。
また、このブログを含む合計3つのブログを運営していくつもりなのでどんな感じのブログにしていくのかを説明させていただければと思います('◇')ゞ
まずこのブログですが、このブログでは
- 私の日常生活(子育ての事など)
- 私の思ったことのつぶやき
などを書いていこうと思います。
もう1つは、私が趣味でやっている携帯アプリ「逆転オセロニア」」の記事
そして最後は、Twitter・Instagramのアンケート機能を活用した記事。
以上の計3つのブログ運営を頑張っていこうとおもいます。
いままでこういった記事などを書いたこともなく、文章力や記事の質など、まだまだ未熟ではありますが頑張ってやっていこうと思います。
先輩ブロガーの方々や、私の書く記事に少しでも目を止めてくださった方々からの
アドバイス、コメントお待ちしております。
これからのpapachannel(パパチャンネル)をどうぞよろしくお願いします('◇')ゞ